自分が嫌な事を我慢して続けるくらいなら、そんなものさっさとやめちまえよ
精神すり減らすのは、寿命縮めてるのと一緒ですよ。
こんにちは。Tom.o.White(@tw_dialmmm)です。
日本人であることに誇りを持ってますが、時にはうっとうしいこともあります。
僕は今バレーボールの社会人クラブチームに所属しています。
そのチームでは僕と同い年の人がキャプテン代理を務めています。(訳あってキャプテンは今いないのですが。)
キャプテン代理の彼と僕は同い年ということもあり、かなり仲良くさせてもらっているんですが、どうやら彼は最近ひどく悩んでいる様子。
悩みの内容としては、クラブチームの監督のワンマンぶりが過ぎるので今のチームを離れて新しいチームを自分で立ち上げようか考えているとのこと。
監督はもうおじいちゃんなんで、日に日に頑固者になっていってるのは僕も感じています。笑
キャプテン代理の彼は高卒で社会人になっており、就職を機に地元を離れ関東へ引っ越してきたという生い立ちがあります。
また、就職をして間もない頃に現在のクラブチームに入団してずっと続けてきているため、監督に少なからぬ恩義を感じているとのこと。
そんな恩義の情と、現状への不満に板挟みになりながら、僕と話をする中で彼はこのような言葉をこぼすのです。
「たまには練習休みたい」「やっぱ辞めるなら筋を通してから辞めないとな」
それを聞いて僕が思ったのは「嫌なら今すぐ辞めればいいのに」でした。
彼のことに限らず、人生の色んなタイミングで当てはまることなので、嫌なことはすぐに辞めた方がいい理由について話していきますね。
ただ我慢するだけならすぐにでもやめた方がいい
前職で適応障害を患って以来、僕は「我慢して生きる」ことをしないようになりました。
(関連記事:心の病で休職した人が職場復帰するまでどこでリハビリしてるか知ってる? - 自分勝手father)
僕は我慢して生きる事を続けた結果として不眠・食欲不振・対人コミュニケーション意欲減少など、自分に全部跳ね返ってくる恐怖を身をもって体験しました。だから僕は嫌だと感じることはすぐ辞めればいいと思っています。仕事でも趣味でも恋愛でも。
ひとつ言っておきたいのは、『向上のための我慢』はここには含まれません。
自分が掲げた目標を達成するために切磋琢磨しているときの我慢はあくまでも成長の過程なので今回の話とは異なります。
そうじゃなくて、「なんで俺/私がこんなことしなくちゃいけないんだ」と思ってしまうような我慢からはすぐに距離を置きましょう、という話です。
このような感情を抱くような我慢は、あなたの心にゆっくりと負担をかけ続け、しまいには身体に影響を及ぼすようになってくるでしょう。
こういう話をすると必ず「全ての物事には意味があるから今は頑張って続けてみなよ」とか、「いまやっていることの意味なんて後からわかるもんだよ」とか言い出す奴が出てくるんですが、そういう身勝手な言葉のせいで不眠になったり食欲不振になったりして仕事に行けなくなったら責任とれんのかお前は。と僕は思います。
ほんと適当なこと言ってくれるなよ。
『好きなことで生きていく』なんて綺麗事かもしれないけど、だからといって『嫌なことを我慢し続ける』必要もないんですよ。
体壊したら元も子もありませんからね。
『筋を通す』ってどういうこと?
よく日本では組織を離れるときに「辞めるなら筋を通せ」とか言われるらしいです。僕は幸運にも今まで一度もないけど。
この『筋を通す』って考えが僕にはいまいち理解できません。
そもそも、『筋を通す』という言葉は『一貫性のある』といった意味のはずです。
それなのに「辞めるなら筋を通せ」という一文において、『筋を通す』とは『恩義に報いる』とか『礼を尽くす』といった文脈で使われているように思えます。
もし『恩義に報いる』『礼を尽くす』という意味で使われるのであれば、それは組織に属している間に報いるべきであって、組織を離れる際に改めてすることじゃないですよね。まあ、別れの際にお礼を述べることは必要かもしれませんが。
そのように考えたとき、「辞めるなら筋を通せ」というのは「後味悪くならず、お互い悔恨残さないような辞め方をしろよ」という意味合いで使われているのだということが分かります。
いや、そんなん知らんがな。
繰り返し言いますが、嫌だと感じること・精神的に負担に感じることからはすぐにでも離れるべきです。
ましてや周囲に愚痴をこぼしているということは、すなわち自分の中で消化しきれずに溢れ出てきてしまっていることを意味します。
そんなMajiで壊れる5秒前な精神状態の中、相手方の事情なんか考えている余裕はありません。
まず優先すべきは自分の心身です。自分の生命です。『筋を通す』ことなんて考えなくっていいんです。
自己中だ何だと言われようが関係ない。だって自分というものがなくなったらこの世界は終わりなんだから。
組織を離れることは悪か
大抵の日本人は会社を辞めるときに申し訳ないと感じますよね。
これだけ言っておきながら、正直なところ僕だって感じます。
でも何に対して申し訳なく感じるんでしょうか?
自分が抜けた分の人員補充をする手間を会社に負担させるから?
それはたしかに申し訳ないかもしれません。
でも、会社ないしは組織の体質と自分が合わなかった結果、離れるわけですよね。
それって遅かれ早かれやってくるものじゃないですか。ある意味運命ですよ。
そこに申し訳なさを感じる必要は微塵もないです。
自分がいなくなった組織の今後を心配するのは、はっきり言って時間の無駄でしかありません。
もしかしたら、あなたの次にやってくる人は組織と相性バツグンかもしれませんよ。
そんなこと考える暇があったら、もっと自分に合う道を探した方がよっぽど有意義じゃないですか?
現状を絶対的なものだと思わない
現状を絶対的なものと思い込み、他の道を閉ざしてしまうのは愚の骨頂です。
自分を変えること。もっと言えば、自分に負担をかけてくるものを切り離すこと。
そうすることで、より充実した環境を手にすることができ、もっと楽しい毎日につながっていくはずです。
最後に、
僕はもう今年の7月でバレーボールから離れてしまいますが、キャプテン代理の彼が現状に捉われず今以上に活躍できる道を選んでいくことを期待しています。
Tom