「ゆとり教育を受けた俺たちは失敗作だったのか」とか言ってるやつはちょっと頭冷やそう

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ゆとり世代の一人として、教育学部卒の人間として、一つ言っておきたいことがあります。

こんにちは。Tom.o.White(@tw_dialmmm)です。

 

 

twitterを眺めていると僕のTLに複数の方が同じ記事に対して言及しているのを見かけました。

その記事がこちら。

www.huffingtonpost.jp

 

正直、記事ありきでツイートが引用されているであろうことは容易に想像できます。そんなにバズってるツイートでもないし。

 

それでもこの会見を見て、「ゆとり教育を受けた俺たち私たちは失敗作だったのか!」と思う人は少なからずいるでしょう。

そんな同世代のゆとり達へ向けて僕が言いたいのは「それはちょっと違うんじゃない?」ってことです。

 

 

そもそも学習指導要領とは

全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省では、学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めています。これを「学習指導要領」といいます。

学習指導要領とは何か?:文部科学省

 

学習指導要領とは、文科省が定める学校教育の基準です。10年を目途に改訂されています。

改訂するごとにそれぞれのテーマが決められていて、そのテーマのひとつに「ゆとり教育」があったりします。

ここで大事なのは、その指導要領が良かろうが悪かろうが必ず改訂はやってくるということです。

 

今回、脱ゆとり方針が騒がれてますが、文科省の人たちだって役人とはいえそこまで馬鹿じゃないですよ。

これだけ多種多様な生き方が展開されている現代を鑑みて、試験の点数だけがすべてじゃないという考えを当然持ち合わせてます。

世間で言われてきた「いい子」ってのはどうしても「おとなしい、従順、真面目」といったニュアンスが強いです。でもそういういい子ちゃんたちを育てた結果、世界で戦えなくなってきたって話はみなさんよく耳にしてますよね?

これからの日本を支えるのは、いわゆる「いい子」じゃない。それよりも、自分を主張できる子、アウトプットできる子が活躍していくと踏んでいます。

その考えを基に「ゆとり教育」とか「生きる力」といったテーマを打ち出してきたわけです。

 

例えるなら学習指導要領は振り子のようなものです。一度どこかに傾けたら次は反対方向に振ってバランスをとる。しかも時代の流れを汲みながら。

「詰め込み教育」という背景があったから「ゆとり教育」というものが打ち出されたわけだし、「ゆとり教育」があったから次の「脱ゆとり」へと向かうのはある意味必然なのです。

それなのに「ゆとり教育との決別=ゆとり世代への烙印」と捉えてしまうのはとても早計で、ちゃんちゃらおかしい話だってことなんです。

 

 

ゆとり世代であることにコンプレックスを抱く理由はない

「ゆとり世代はつかえねー」

こんなセリフを、会社で言われましたか?まとめサイトで見ましたか?親戚の集まりで耳にしましたか?

 

ゆとり(笑)とか言われてる昨今、僕らはちょっとこの言葉に対して敏感になりすぎです。

もはや潜在的なコンプレックスになってるんでしょう。

だから冒頭のような「俺たちは失敗作だったのか」みたいな不満が噴出してくるんです。

 

たしかに、コミュニケーション手段が多様化してきた現代の副産物として、非常識な若者が増えたというのは否定しません。思いやりの気持ちがないとか、尊敬の念が足りないとか。

でもそれって教育のせいですかね?

僕はそうは思いません。というか、何物のせいでもないのだと思います。

ITをはじめ、あらゆる技術が飛躍的に進歩した現状を考えると、たとえ「詰め込み教育」が現代まで続いていたとしても、今の若者は同じような特徴を持っていただろうと僕は思います。

 

加えて、ゆとりが叩かれている原因として、ゆとり世代の人たちが今ちょうど社会に出だしたというこのタイミングも大きく関係しているでしょう。

新人として使えないのはある意味当然なのに、その使えない新人がゆとり世代だからって理由で「これだからゆとりは」とか言われるんです。

 

誰だって最初は失敗から学ぶし、非常識に対する叱責から経験を得るわけです。1年も2年も経って初歩的なミス連発しているような人は別ですが。

誰だってということは、今日本を回してる大人たちもスタートラインはほとんど同じだということです。(さすがに社長とか役員クラスの人たちは最初から抜きんでてたのかもしれないけどね。)

だから「ゆとり世代はつかえねー」っていう言葉は新人もしくは若手社員に対する通過儀礼ぐらいに思っておきましょ。だって会社の人全員がほんとにあなたより「つかえる」人材なんですかね?絶対そんなことないと思いますよ。遅くとも数年後にはパワーバランス変わってるはずです。

批判されるのは、あなたが社会人として存在している証拠です。

 

 

ゆとり世代に生まれたことはむしろチャンスと捉える

ゆとり世代だからって最初から下に見られるってのは、とっても屈辱です。

小中高の間は部活も勉強も頑張った。つらい受験勉強を突破して大学入った。就職活動だって色んな説明会行って、自己分析やらESやらSPIやらこなして、何回も面接受けて、ようやく内定もらってきた。

でもその間、大人たちはずっと「ゆとりなんだからもっと頑張らなきゃだめだ。努力が足りない。」とか好き勝手言いやがる。自分たちは就職活動なんてロクにしてないのにね。

そんな仕打ちを「時代の流れ」なんて言葉ひとつで受け流すには、少々理不尽すぎます。

 

でも僕はゆとり世代の人間でよかったと思ってます。

だってさ、ちょっと頑張れば「ゆとりだけどこれだけできます」ってアピールになるでしょ?これはある意味メリットですよ。

 

考え方を変えてみましょう。

僕らゆとり世代は元の評価が低い分、頑張れば驚かれます。気負うことなくパフォーマンスを披露できます。

下に見られてるってことはちょっと頑張ればすぐに見返してやれるってことです。

『マイナスからのスタートなめんな』ってなんことです。


【生きる場所なんてどこにもなかった】でんぱ組.inc「W.W.D」Full ver.

 

’’僕たち’’はゆとり教育を受けてきた。でも’’僕’’は他とは違う。ということを手っ取り早く最大限に利用できるのはゆとり世代なんですよ。

それを活かさない手はないでしょう。

 

 

教育って未来に向けたものだから 

「あの頃両親が言ってたのはこういうことだったのか」「先生のあの時の指導が今役立っている」なんていうことは誰にでもひとつやふたつあるでしょう。

でもそれって、おとなになってから気付きましたよね?

 

そう。大人になってからわかることっていっぱいあります。

あとになってから気付くことって山ほどあります。

25歳の僕なんかはきっとまだまだ分かってないことだらけです。

 

その「あとになって気付く」ってのは教育にも同じことが言えます。

現代教育はもはやそんな即効性のあることを考えていません。5年後10年後に活躍できる人間に育てるために、今どんな要素を子供たちに与えるべきか、どんな種を蒔いておけばいいのかを考えています。

乱暴に例えると、最強のLv.100のポケモンを目指して、どんな努力値を蓄積させるべきか模索することと同じようなものです。

 

僕たちが受けてきたゆとり教育の結果もあとになって分かります。でもその「あとになって」がいつごろかは誰にも分りません。もしかしたらまだ結果は出てないかもしれない。僕たちが30代40代になったら、今まで受けてきた屈辱をバネにさらなる成長を見せるかもしれない。

だからゆとり教育は失敗だったと判断するのはまだ早いのです。

 

 

自分のことを失敗作扱いするのはやめようぜ

冒頭の記事で馳文科相は「ゆとり教育との決別」とは言ってるけど、別に誰もゆとり教育が悪だったとは言ってないですよね?少なくとも記事内では。

不満を漏らしている人は、自分から勝手に被害妄想膨らませて鬱モードに入ってるだけです。思考回路がメンヘラと一緒ですね。

 

 

繰り返し言いますけど学習指導要領はよりよい教育を目指して常に変わります。

別に過去のものが悪だったと決めつけているわけではありません。

 

ゆとり世代の評価は僕ら自身でしか変えられないのに、それを自分から失敗だったと言って投げやりになることで何を得するんでしょうか。

 

10年後もしくは20年後、日本を支えてるのは僕らの世代ですよ。そのときにゆとり世代の日本人が世界で活躍してたらめちゃめちゃかっこいいし、それって教育の成果じゃないですか。

新しい教育と過去の教育とを比較して自分を卑下するんじゃなくて、自分が受けてきた教育は間違ってなかったということを証明するために生きた方がよっぽど有意義だと思いません?

 

 

まとめ

つまるところ、僕が言いたいことはこの3つです。

  • 学習指導要領は「よりよい教育」を目指して絶えず変わっていくものであるということを理解する。
  • 脱ゆとり宣言はゆとり世代への烙印ではない。
  • 自分のことを失敗作だと思わない。ゆとり教育が失敗だったかどうかは今後の僕ら次第。

 

世界のどこにいようが、同世代の活躍はうれしいものです。

そして、僕もゆとり世代の1人として、僕らの世代の評価を上げるような活躍を目指していきます。

まずは自分を過小評価しないところからですね!

ゆとり世代という言葉が名誉の象徴になる日が来るのかしら。

 

 

 

Tom