祖父のねを 初孫はつゆも 知らぬまま
父方の祖父は、荒くれ者だったらしい。
恵まれた大柄な体型でボクシング経験者だったものだから、一族から疎まれて戦時中に志願兵として送り込まれた経験がある。
父方の祖父は、粗暴な人だったらしい。
言うことを聞かない息子を木に縛りあげたまま、そのことを忘れてしまってその日の夜まで放置してしまったことを、僕の父は今でも恨んでいる。
父方の祖父は、書に秀でていたらしい。
実家の和室には祖父がしたためた掛け軸が今でも飾られているし、素人の僕から見てもわかるほどに、その筆跡には一寸の迷いもない。
父方の祖父は、高校で社会科の教師をしていたらしい。
僕が社会科の教員免許を取得したとき、僕の父は「同じ科目で免許取るなんて、天国のじいさんも喜んでるよ」と笑っていた。
父方の祖父は、初孫である僕をそれはそれは愛でていたらしい。
初孫かつ長男であった僕に対して、「お前が生まれたときの親父は、今まで見たことないくらいずっと笑顔だったよ」と、祖父の息子である父は語る。
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僕には、父方の祖父が生きているときの記憶がひとつもない。
唯一記憶にあるのは、祖父が亡くなったときだ。
病室で横たわる祖父の遺体を親族で囲み、僕は祖父の足元から、その場にいる全員が涙を流していた光景を強烈に覚えている。
祖父の人物像は、すべて親族からの言葉によって伝えられた。
人の口を介すことは、少なからずその内容を脚色してしまうが、その真偽はともかくとして、実体として祖父を感じることは今までずっとなかったのだ。
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2019年の正月。
実家へ帰省した際に、父の書斎へ潜り込んだ。
書斎とは名ばかりで、そこは家族の趣味を詰め込んだ『趣味の物置』と化している。
僕のマンガ、妹のドラム、父のレコードなど、まるで統一感のないその空間に、1台のフィルムカメラが佇んでいた。
少し安っぽくも見える黒いボディには『C35EF』と書いてある。
僕の家族にフィルムカメラなど使うものはいないはず。
一体このカメラは誰のものなのかと父に問うと
「それはお前のおじいさんが持ってたものだよ」
と言うがはやいか、僕の手からカメラを受け取り、かぶっていた埃を細かく落としていく。
「フラッシュは使えるかわからんが、撮影はできるはず。使いたいなら持ってっていいぞ。使い方わかるか?」
父にフィルムの装填方法を一から聞くのは、なんとなく恥ずかしかった。
自分で調べるからいいよ、という僕の話を父はまるで聞く気がない。
「まあいいからとりあえず見て覚えとけよ」
と勝手に説明を始めた。
父の説明をまるで覚えていなかった僕は、結果としてフィルムをまるごと1個無駄にすることになる。
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先日、誕生日プレゼントとして、友人たちからフィルムをたくさんいただいた。
これを祖父の持っていたカメラに装填して使ってみたら、どんな写真が撮れるのか。
というか、そもそも撮れるのかこれ。
渦巻く不安と緊張を、好奇心のベールで見なかったことにする。
「とりあえず楽しそうだからやってみようぜ」
フィルムの装填方法を動画で確認しながら、慣れない手つきでセッティングする。
初めてのフィルムに選んだのは『ウルトラマックス400』。
「お前、初めてのフィルムでそんな高級なもの使って贅沢すぎるんじゃないか」
祖父からの忠告が聞こえたような気がした。
そんなこと知らないよ。もう入れちゃったんだから。
もうすぐ30歳になろうというのに、大人の言うことを聞けないだめな初孫を許してくれよ。
さあ、公園についたぞ。
……見事に惨敗だった。
ピントがあっている写真がほとんどない。
マニュアルフォーカスである『C35EF』の機能を甘く見すぎていた。
全く、なんという”祖父不幸”な孫だろうか。
現像された画像を見た瞬間、膝から崩れ落ちるような気持ちだった。
ただ、それと同時に、なんとも言えない愛着感が自分の内に湧いてくるのも感じた。
このカメラで、自分の納得がいく一枚を撮りたい。
このカメラで、自分の部屋に飾れる一枚を撮りたい。
祖父の使っていたこのカメラで、”一緒に”撮影がしたい。
祖父の声音も、人間としての価値も、なにひとつ知らない初孫だけど、遺した実機に実体を感じながら今を残していきたい。
「祖父のねを 初孫はつゆも 知らぬまま されどカメラは 受け継がれゆく」
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この記事はコトバコというブログを運営しているしむ@46symさんが作成した【1st Roll】カメクラが沼へ誘う Advent Calendar 2019の記事です。
昨日の担当はシゲさん。
家族愛やカメラ愛が詰まったあったかい記事なので、記事最後の写真だけでも見て欲しい。
記事はこちら「カメラ・写真は楽しいぞ! #カメクラの沼カレ2019|2LDK」
次の記事はブラウン野郎さん。こんな名前だったっけ……。
記事はこちら「写真にはデッサン力が必要な事に気づいた」