プロフィール

こんにちは。Tom.o.White(@tw_dialmmm)です。

 

今までのプロフィールがかなりざっくりした内容だったので、生い立ちなども含めたものを改めてまとめました。

 

 

運営者プロフィール

名前(HN):Tom.o.white

年齢:満25歳(1990年生まれ)

出身地:群馬県

資格:普通自動車免許、普通二輪免許、教員免許(中学社会科・高校地歴公民科)

趣味:ロードバイク、バレーボール、マンガ

好きなアーティスト:JUDY AND MARY、YUKI、ザ・ブルーハーツ、聖飢魔Ⅱ、JAM PROJECT、でんぱ組.inc、BABY METAL、中島みゆき、サザンオールスターズ

海外渡航歴:台湾、ハワイ(幼少時)

 

外国へほとんど行ったことのない僕が、ワーキングホリデーを経て海外移住を目指すブログにしたいと思っています。

現在の目標は、今後数年間でワーホリで訪れる国の中から永住権を取得することです。 

 

生い立ち

1990年 群馬県で生まれる

両家の初孫としてこの世に生を受ける。

 

よく食べよく眠る子だったため、母は自身の育児センスが天才的なのだと勘違いしていた。

ミルクは親が与えるのを止めない限り飲み続けていたという。

食欲は一向に減ることがなく、1歳にしてそば1人前を完食するほど。

そのため主に横の方向へすくすくと育つ。

 

1994年 幼稚園へ入学

幼稚園へ通う頃にはすっかり丸みを帯びた体になる。

性格は極度の引っ込み思案。

幼稚園バスが送迎に来るたびに母に泣きついていた。

また汚れることがとてもイヤだったため、砂場遊び、粘土遊びをしたことがない。

誕生日が来ると成長の証として手形を採るイベントがあったが、インクで手が汚れることがイヤで僕の手形は鉛筆で採ったものになっている。

 

生まれつきのアトピーと喘息が成長とともに悪化。

特にアトピーがひどく、全身ステロイドまみれ。

自分でひっかくのを防ぐために寝る際には両腕に包帯を巻いて寝ていた。

 

1997年 地元の町立小学校へ入学

入学時はすっかりおデブさん。

そのためいじめられがちな学校生活を送る。

このことが、自分の外見に対する劣等感としていつまでも付きまとうことになる。

 

2年生まで書道を習うが、書道教室の室内で犬を飼っていたことで持病の喘息が悪化したため退会。

中途半端に字が上手くなる。

 

4年生から6年生まで町の空手教室に通う。

センスが欠片もなかったおかげで大会で成績は収められなかったが、大幅な減量に成功。

体脂肪を25%から15%まで落とす。

そのおかげでちょっとずついじめが減ってくる。

 

4年生にして初めて授業中に寝るということを覚える。

 

アトピーと喘息は相変わらず続く。

塗り薬や飲み薬の服用で治療をしていたが、持ち前のだらしなさで服用をサボったため快方へ向かわない。

喘息の発作がうるさかったためか、父親に毎晩ひどく怒られていた。そのストレスが原因となり夜尿が治らなかった。

 

2003年 吉岡町立吉岡中学校へ入学

空手部が無かったため他の運動部を探す。

テニスの王子様が爆発的人気を誇っていたため、軟式テニス部に入部しようとしたが体験入部でとにかく走らされたことに嫌気が差し断念。

そこへ毎年入部人数が少なくて困っていたバレー部顧問がたまたま勧誘活動をしていたことをきっかけに男子バレー部へ入部。

初めて坊主になる。

いわゆる『部活動が盛んな学校』だったため、普通の土日でも県外遠征などへ行っていた。

しかしレギュラーメンバーではなく、一番レギュラーに近い補欠という立ち位置。

日々の努力もむなしく、最後の大会では県ベスト8という結果に終わる。

 

学業においては、通っていた塾との相性がよかったこともあり、なかなかの成績を収める。

学校の授業では寝まくっているくせに、テストの成績は良いという憎たらしい生徒になる。

しかし3年間通して、テストで総合1位になることは叶わなかった。ずっと総合1位だったあいつは医学部へ行きました……。

 

このころ、両親の仲がとても悪く、一時離婚の危機を迎える。

学業、部活、家庭、すべての面からストレスを感じていたようで、それが円形脱毛症というかたちになってあらわれる。

 

3年生で初めての彼女ができる。

浮かれまくっていたが年内にはフラれる。

この時のショックがトラウマとなり、その後付き合う女性に対して常に予防線を張るクセがつく。

 

『ハチミツとクローバー』というマンガを友人から紹介されドはまりする。

マンガの中で、北海道の宗谷岬(日本の北端地)へ自転車で一人旅するエピソードに感化され、一人で宗谷岬へ行くというちいさな夢を抱く。

 

願書提出前日まで学年主任から受験高校のレベルを落とすように説得されたが、頑なに拒否し県内トップ高校を受験。

周囲の心配をよそに無事合格。

 

2006年 群馬県立前橋高等学校へ入学

土日も休みなく部活に明け暮れていた中学時代から遠ざかるため、ゆるい部活を探す。

空手部の顧問が未経験者であり比較的ゆるい雰囲気であることを知り入部を決意する。

当時の空手部は應援團を掛け持ちするシステムだったため、應援團にも自動的に入部する。

さらに学校の集会の度に、放送機器調整の名目で別室でサボれるという噂を聞きつけ、放送部にも入部する。

結果として3つの部活に所属するかたちになる。

 

学業においては、中学のノリをそのまま引きずり授業中寝て過ごしていたら、そのままついていけなくなり挫折する。

200点満点の数学のテストで5点をとるといった調子が続き、学年で320人の生徒がいる中でワースト5をさまよう。

通知表の5教科の評価はすべて1。

1になると文字が赤くなるのを見て、「これが赤点と呼ばれる理由かあ。」などと呑気なことを考えていた。

そんな中、2年生の冬に一年発起し勉強を始める。

自転車通学の時間やお風呂の時間などすべて定期テストに向けての勉強に充てるも、今まで勉強してこなかったツケを取り戻すことができないことを痛感する。

自分の要領の悪さに絶望する。

私立専願に切り替え勉強を進めるもセンター試験で大失敗。滑り止めとして受験した大学もことごとく不合格。

しかし第一志望の大学だけ合格するというミラクルを起こす。

泣いた。

 

人生でおそらく1回目のモテ期。

その後はまだ来ていない。

 

2009年 早稲田大学教育学部教育学科へ入学

中野区で一人暮らしを始める。

しかし一人が寂しすぎて誰かしらが自宅に泊まっている状態をつくりあげる。

1年浪人して都内の大学へ入学した地元の親友を自宅に居候させ、ほぼ2人暮らし状態となる。

男2人で1Kに住む。

 

バレーボールサークルに入ったが、いわゆる飲みサーで合宿が数多くあること、支出がとんでもなくなることがわかり1年経たずに脱退する。

学科のクラスが細かく分かれていたため、そこの仲間内ととても仲良くなる。

実質サークル状態だった。

 

極端なアシンメトリー・金髪メッシュ・バリカンアートなどを盛り込んだヘアスタイルで遊びまくっていたせいでバイトがなかなか決まらなかったが、歌舞伎町の居酒屋でタオルを頭に巻くことを条件にホールとして採用してもらう。

考えてみれば当然なのだが、友人たちが飲みに行くタイミングでバイトのシフトが重なることが多くなることが分かり、それが嫌で1年経たずに辞める。

 

髪の毛が自由なバイトを探していたところ、コールセンターのオペレーターのバイトを見つけて応募。無事採用され、大学卒業まで約3年半続ける。

 

中学の頃から夢見ていた北海道一人旅を決行する。

中古のバイクを購入し、2週間かけて北海道一周を果たす。

北海道の持つ圧倒的な景観や一期一会のすばらしさを体感するも、一抹の寂しさを感じる。

「みんな一人の時間が欲しいとかいうけど、俺には必要なさそうだ。」と実感する。

 

アパートに居候していた親友が別の友人とシェアハウスするために家を出る。

その後少しして彼女(のちの嫁さん)と同棲を始める。

 

2013年 某教科書会社へ入社 営業職として働く

就活をそこそこに取り組み、希望していた教科書業界へ足を踏み入れる。

自分が営業として買われているという他人からの目を意識しすぎて、本当にやりたかった編集職への希望を押し殺す。

晴れて営業職となったが、業界独特の営業スタイルと教科書が決まるまでのドロドロとした人間関係に嫌気が差す。

結果として適応障害を患い、しばらく休職期間に入るもあえなく退社。

 

当時の彼女の年齢や将来の家族構成などを鑑みた結果、就職してすぐにプロポーズする。

既婚者になるもすぐに精神を病んだため、とてつもなく嫁さんに気苦労をさせる。

このことがのちに離婚する一因となる。

 

休職期間中に担当医師から適度な運動を勧められ、バレーボールの社会人サークルへ加入する。

嫌々ながらやっていた中学時代とは裏腹に、自分で考えながら鍛えていくことに夢中になる。

このことがのちに離婚する一因となる。

 

第一子が生まれる。

 

教師に転職しようとして東京都の採用試験を受けたが不合格。

一般教養はほとんど出来たのに対して、専門教養である地歴公民がまったくといっていいほど伸びず、社会科に対して絶望する。

 

2015年 コインパーキング会社へ入社 技術職として働く

教科書会社を退職後、ハローワークで営業職以外の仕事を探していたときに目に留まり、コインパーキングの管理業務に応募する。

僕の経歴を見た部長が冷やかしではないかと疑い、面接前に確認の電話をかけてくるといった珍事に見舞われるも、無事採用される。

 

零細企業ながらも業界全体が成長を続けており、そんな会社の中で役割を持てたことで仕事の楽しさを初めて実感する。

この頃から気持ちのウエイトが『仕事=バレーボール>家庭』になる。

このことがのちに離婚する最大の要因となる。

 

おそらくこの会社を定年まで続けることはないだろうと考えた結果、英語の教員免許を取得しておこうと企てる。

明星大学通信教育部に科目等履修生として入学する。

 

2016年 嫁さんが家出する

娘を義実家に数日預けていたある日、嫁さんにアトピーの塗り薬を塗ってもらう際の僕の態度が非常に悪かったことが原因で喧嘩へ発展する。

100%僕が悪いのだが、嫁さんからわざわざ謝ってくれたにもかかわらず、僕は身勝手に逆上する。

2日間一言も交わすことなく仕事から帰宅した際に、嫁さんからの書置きを発見する。

「しばらく実家へ帰ります。」との内容を一瞥するも、気に留めず放置する。

 

その数日後、明星大学のスクーリングへ行って帰宅すると嫁さんの荷物が全てなくなっていることに気付く。

一方で、このときのスクーリングでワーキングホリデーについてきちんとした知識を手に入れるとともに、海外移住を夢見るようになる。

 

さらに数日後、謝罪を兼ねて嫁さんと2人で今後の話し合いをする。

しかし、嫁さんからもう戻る気はないと突きつけられる。

気持ちの整理をするのに多少の時間を要したが、独身がほぼ決定したことで海外移住への気持ちがより強くなる。

 

2016年 コインパーキング会社を退社&離婚

独身へ戻るために定職に就いている必要がなくなったこと、明星大学の勉強を一日でも早く終わらせることを名目にコインパーキング会社を退社する。

夢中になっていたバレーボールも辞める。

退社後、離婚手続きを終え、無事独身に返り咲きを果たす。

 

現在はフリーターとして勉強を進めるかたわら、ワーホリへの準備を進めている。

ワーホリの目的地として、カナダ・ニュージーランド・オーストラリアを予定している。

 

よろしくお願いします。

 

 

最終更新日:2016/08/18